静寂〜性的虐待にスポットを当てた映画〜
うみのはるか監督作品の「静寂」と言う映画の音楽プロデュースをさせていただいている真最中です。
性的虐待にスポットを当てたこの映画。
何度も繰り返し見るのですが、なかなか目や心に痛いものがあります。
と言うのも、このテーマ、私にも当てはまるからです。
今、自分には4歳になる娘がおり、離婚はしたものの、小さくとも幸せな毎日を過ごしているのですが、子供と言うのは本当に未知数で、この先のことを考えると楽しみと心配が無限。
そんな中での、この映画の音楽プロデュース。
まるで自分ともっと向き合いなさいと言われている様で、戸惑いつつも感謝している次第です。
この映画が僕の元に来た時。
「ついにこのテーマで音を作る日が来たか」と心の中で思いました。
そして監督に一言「よくも僕に、この題材を持ってきたねー、殺す気か?(笑)」と伝えると。
「ほら!ウタモモさんにしか描けない!!、ウタモモさんの音しか聴こえてこなかったもん!!」と大喜び。(笑)
本当に、かっこいいバカ女監督さんめ。(笑)
不思議だが、かっこいい生き方をしている彼女には見えたんだろうなぁ。
自分の周りにはかっこいい女先輩が昔から沢山居て、いつだってその女先輩達が自分を導いてくれている。
この、うみのはるかと言う女監督も自分がリスペクトしている女先輩の一人だ。
彼女の生き方についてはまた、本人の承諾を得てから描きたいと思います。
話を戻す。
性的虐待。
この言葉に皆が抵抗を持っているし、持つべきだし。
この事で傷付いている娘が意外と多い事も事実悲しくある問題だ。
目をそらしたい、この題材。
この単語を耳にするだけで不安や苛立ち、悲しみが湧き上がり突き落とされ押し潰されそうになる。
それが自身に起こった事だから尚更なのであるが。
モモに取ってはそらすことのできないテーマに間違いはない。
今までもなんとか描こうとして描ききれないテーマの一つだ。
こんな事を暴露的にSNS等に描いてしまう事を懸念する人も居ると思います。
えー!!ウタモモ!って思う人も中には居るでしょう。
こちらも、別にそんなことを売りにしている歌唄いではないので、ひけらかす事ももちろんしてこなっかったが。
20年表現活動をする中で幾度も幾度も自身のデリケートな所の表現を試みた。
音楽だけでは無く、時には無言に絵で、時には映画で、時には芝居で、自身のことを描こうとしてきたがどうも抽象的になり過ぎて、観点を付けなかった。
そして、その時代時代で自分を自分で認められる様にもがいてきた。
もちろんその背景に支えてきてくれた先輩方が存在する。
何故?描くのよ!?と思うかもしれませんが、モモはこう考えています。
性的虐待と言うのは、コンプレックスです。
自分が表現者なら、自分のコンプレックスを表現に変える事が出来るなら、そしてそんな事をも、面白おかしく自分の人生を描くことができるなら、これ幸いと。
そして、伝えたい、必ず大丈夫なのだと。
これがモモの大きな夢です。
傷付けずに伝える。
このテーマでそれが出来れば最高なのですが、それは難しいでしょうと思う。
だって、傷付いてきたからだ。
ただでさえショッキングなこの出来事。
単語を聞いただけでショックなのに、誰をも傷付けずにこれを伝えるのはとても難しいだろうと思うよ。
でも、それはモモ自身が楽しく居たら、もしかしたらモモと言うカテゴリーでは払拭できるのかもしれない。
この課題はやらないと分からないと言うのが本音。
そして、ショッキングで良い事柄なのだから。
えっ!!て思わないと精神は少し心配だものね。
忘れず、強く、大きく、戦い続けるしかないのだから。
矛盾。
性的虐待と言うのは、想像で考えるにはとても難しいテーマだ。
これはモモの場合の話だが、自身の体験で答えはもう出ている。
考え続けたからね。
矛盾しているなぁー。と思う事は、幾度考えても自分が完全なる被害者であるのに、向き合い続けると。
敵が加害者の人でなく、自分に変わるからだ。
自分がいけない事をされているのに、自分は悪くないのに、世間に対して後ろめたくなる。
何故だ!と思い続けた。
その歯痒さは、自分を自分が否定していることにあった。
そして、自分が愛されている事に気付かずにいたからだ。
簡単に言うと、自分は不幸だと思っていたからだ。
そして、そのうち優しさを忘れる。
そうなってはとても悲しい。
何があっても、そんな事にならない力を人間は持っていると思っているからね。
そして、事実として残っている事柄なのに隠さなきゃならないと言う位置付けにも納得がいかない。
だって、自分が悪いならまだしも、自分は悪くないのに、どうして、描けば叩かれるのかと思う事も隠せない。
それでも隠さないとならない人、言わない強さ。
隠さないで伝える強さは比例しているはず。
母と性的虐待
若い時、母とはそりゃあ対立して来たが。
母はとても美しく繊細な絵を描く表現者だ。
モモが幼稚園くらいの時から絵を本気で描き出したので、その頃からずっと母の背中を見る事になる。
母はもっぱらそう言う話には弱く酷く繊細な人で、無言で描き続けた母が残してくれたものは多大過ぎる。
抱き合って二人で泣いたり、語ったりはしないが、気づけば一緒に作品を作る関係になっていた。
母はとても繊細で優しい人だと、母になった今は特に思う。
そして、子育てをしているから思うが。
モモがこんなにも元気に大人になったのだから、母の子育ては大成功だ。
このテーマを母と向き合うには、母にもとても辛いが、母と答えを出す事が出来た今は、とても暖かく、安心した日常が送れることに感謝を隠せない。
まぁ、僕はマザコンだからね。
そして、母もモモのことでずっと自分を責め続けて来たのだから。
でも、親になった今なら母に言えたことは。
「悪いのは母ではなく、モモでもなく、その人だ。あなたが絵を描いていてくれたから、そんな事があったのにも関わらず意外と良い感じに、母とも仲良く大人なれた!」と。
素直に伝えることの大切さ計り知れず。
母との話もまたどこかで描くことができれば面白い。
娘の事。
一昨日の僕の投稿のせいだね。
「娘がいるのに、不特定な人がみるSNSに、こんな事を描くなんて!」と言う声もあがった。
言葉が足りなかったことをお詫び致します。
そう言うことを描くんだったら、せめてこれくらいちゃんと描かないとね!!ごめん!
気分を害された方がいたので、その投稿はFacebookからは消させて頂きました。
だからこそ、どうか描かせてください。
もちろん、過去、そんな事があった自分は真っ先に、これからの娘が心配でならない。
そんな事があった母親は皆、怖いと感じているに違いない。
それ以外にもいじめ問題や、色々。
でも、子供の心配は未知数、無限だから、その時その時に向き合い考え行動するしかないとモモは思う。
モモの娘は、モモの所に産まれてきた。
モモの子供だから、彼女も自分同様、母親の表現を眺めることになる。
そこでモモに出来ることは、目をそらすことなく、強がらず、娘と遊び学び、一緒に時を過ごし、描くしかない。
その中で、きちっと自分に答えが出せる自分でいる。
これが大切だと考えている。
娘が自分に問うた時、ぶつかって来た時に、きちんと答えを言える、導き出せるように、表現を見せたい。していたい。
そして、万が一そんなことが起こった時に、一番最初に、一番最後に大丈夫だと言える母でありたいのはモモのもう一つの夢だ。
それさえしていれば、モモも自分の母のように、子供を導ける親であれるかもしれないと強く思っています。
私同様、私の娘も表現者の娘なのだ。
表現と神戸
この街で子育てする事を選んだ。
私の母も神戸で表現と自分と向き合ってきたが、それと同様に私も母と言うフィルターを通して、母の周りに居る表現者達を見続けて来た。
私が見て来た表現者達はとても不器用なのだが、最後に自分を信じる強さを持っている。
だから、歌ったり描いたり演じたり、作り続けることができるのだろうと思っている。
最後まで自分を信じきれる、私や母の周りのミュージシャンや表現者達はとてもかっこよく、愛らしい。
そして、そんな表現者達は何があっても負けない、信じる強さを持っている。
そして1から100にするのではなく。
0から1を作る事ができる、その表現者達は、見ていて一緒に居て、とても面白く安心でき、間違いないと思わせてくれ続けている。
そんな強くも優しい人間になって欲しいと娘に願うと共に、母同様、私も自分の娘にそれらを伝えたいと考えている。
最後。
ここには描ききれないことは沢山あるが、そんな沢山の思いを込めて、この映画〜静寂〜に挑もうと思っています。
愛されている事に気づいたあの時や。
今、自分が愛している事。
そんなこと全面に出す事はなかなか出来ないだろうが、ひとつまたひとつと自分を真っ直ぐ表現し続けて生きていたいと願う。
いつか、モモの表現が少しでも確立できた暁には、ウタモモと言う人間を是非、映画に!!(笑)
そして、この文章を最後まで読んでくれた人には分かると思うが、モモは大丈夫。
そして、強い強い女先輩にいっぱい愛され、ぶつかって、演ってるから、そりゃあもう大丈夫!(笑)ある意味無敵!(笑)
一昨日の文章で心配してくれた皆様が居たらごめんよ!
こんな風にモモは思っているよ。
さぁ、この文章を皮切りに、何度も何度も向き合ってみせるぜ。
これと向き合った休日、今日の役目はこれでおしまい。
オカンに戻りますわーい!
最後までながながと!失礼致しました!!
#ウタモモ
#映画静寂に込める思いと自分自身