2日、島田さんが亡くなられたことを聞いた時から、本日まで時が止まっていました。
神戸の街も何処か静かで、音も少し響かない様でした。
私が物心ついた時から、すでに私の周りに居た島田さんが居なくなるなんて、なんて淋しいことだろうね。
思い出も多すぎてね。
私が中学生の時、反抗期の時、島田さんにも反抗してさ。
まさか、その時は、自分が神戸で歌って、島田さんが私の大先輩になるなんて思いもしなかったもの。
10代後半、私が精神を止んで引きこもりがちに成って歌えなくなった時も、
「おまえ舞台に立った方がええ」って。
月に一度3カ月間、ブギウギピアノナイト呼んでくれて
桃、その時、いっぱいいっぱいで、月に1ステージ、3曲歌うのが限界だった。
でも、島田さんが、ああして舞台に上げてくれたからこそです。
村八分の加藤嘉明さんが神戸のジェームスにライブしに来た時、オープニングアクトでピックアップしてくれたのも。
初めて神戸でライブするようになった時に
「歌はまだまだやけど、桃はセンスが良いから」って
神戸で桃を初めて褒めてくれたミュージシャンは島田さん。
桃がFM OSAKAでラジオパーソナリティした時、初めてゲストに呼んだ人も島田さん。
島田さん「おまえが西岡恭蔵さん歌うなんて10年早い」って言ってたのに、ラジオの番組で、ぷかぷか、桃のバックでダンボール叩いてくれたやん。
島田さんと何度一緒に、ぷかぷか演ったろうな。
やれ、前髪が長いとか、姿勢が悪いとか、ハシの持ち方がとか、煙草を吸うときはどうやとか、ほんま神戸で一番うるさい先輩やったな。
親戚みたいなんやったな。
存在が余りにも近くて、わざわざ付き合いもせんかった。
よお、怒られて、何回も言い合った。
ほんまに、よお可愛がってくれていたんやね。
桃がしらない所で、沢山褒めてくれててんてね、島田さん。
神戸で本当に世話になり、神戸で一番悔しさを教えてくれたのも島田さん。
10代の時、桃が神戸に来て、初めてたてた目標は、島田さんが出てるステージに自分も立つことでした。
こうして、今の自分があること、島田さんのお陰です。
桃は時を動かします。
島田さん、本当にありがとうございました。
本当に、ありがとうございました。
描き歌います。
皆様へ
少しバタバタしていました、ライブのお礼の連絡等が出来ていませんが、時を動かしますので、又、後日お礼のメールなぞをさせてください。
いつも応援してくれている皆様。
今回、心配してくださった皆様、心よりお礼申し上げます。
桃は、こんなに素敵な先輩や表現者、皆様が心居てくれるので大丈夫です。
こんな最中、ライブに足を運んでいただいた、ミュージシャンの方々、皆様、本当にありがとうございます。
心を、時を動かす気持ちになれましたのでブログにて伝えさせていただきます。
詩 桃-UTA MOMO-